ある日のこと、蛮堂(バンドウ)夫人が夕刊を取りに出ようとドアを開けると、扉はわずかに開いたところで何かにつかえ、夫人はそのままの勢いで前頭部をしたたかに打ち付けた。
「ファッキン」
夫人はそう呟いたのち、体重をかけてドアを押し開けた。ずるずると何かの引きずられる音。
そこに置かれていたのはミカン箱であった。
夫人は迷いのない手つきで箱を開けた。危険物が入っている等の発想は皆無であった。
中には、毛布にくるまれた一人の乳幼児が、すやすやと眠っている。
捨て子であった。コインロッカーベイビーであった。いやコインロッカーベイビーではなかった。
「正気か貴様…」
そう言いながら夫人は赤ん坊を抱き上げた。
♪いーいー香り、クンクン!
そこへ高らかな歌声と共に、蛮堂氏が仕事(汁男優)から帰宅した。
「この次は、折る」
夫人は蛮堂氏にねぎらいの言葉をかけた後、困ったような顔で腕に抱えた子供を見せた。
蛮堂氏は驚きながらも、夫人の手から赤ん坊を受け取った。
蛮堂夫妻の間に子供はいなかった。
若かりし頃の蛮堂氏が、「見えないオシャレ」と称し、自身にパイプカット手術を施してしまったためだ。
あの頃は完全に何かをはき違えていた。あの頃は何も怖くなかった。ただあなたの優しさが怖かった。次は、あなたの優しさが一杯怖い。
おそらくその辺りの事情を知る何者かが、玄関先に子供を捨てていったのだ。
夫妻は(みのもんたに)相談した結果、自分たちでその子供を育てることを決意した。
まず名前を決めようということになり、蛮堂氏は玄関先に置かれているミカン箱を一瞥すると、
「この子はミカンから生まれたのだから(※生まれてない)、『ミカン塾々長』と名付けよう!」
困ったのは出生届を持ってこられた役所である。
渋面を浮かべながら、役人は書類を蛮堂氏につき返した。実在しない塾の名を冠するのは、子供の将来のためによろしくないというわけだ。
刹那、蛮堂氏は鬼神と化した。
殴る、蹴る、脱ぐ。
最終的に役所を半壊させるまで蛮堂氏は暴れ回り、役人は総身ボロ布の如くに成り果てた挙句、とうとう折れた。
「わ…わかりました。それでは『ミカン塾々長』で受理いたします」
「いや、やっぱりミノルにします」
後に「生ける伝説」の二つ名を持つ男、蛮堂ミノル誕生の瞬間であった。
つづく