いきぢから
by keiji65535
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「俺たち玄海灘に波紋を起こすために生まれて来たのだぜ」
 生来の出無精で、余りに外出をしないがためにほとんど土着神になりかかっていた私だ。
 そんな私が初めてパスポートを申請したのは、死地を得るためであった。

 自分の身体が病魔に侵されていると知って以来、私は不安と恐怖で眠れぬ夜が続いていた。
 死に対するそれも勿論あるが、それ以上に、自分が死んだ後その肉体が炎に巻かれる様を想像すると、草野仁に夜這いをかけられたような怖気が走るのである。私は極度の火恐怖症なのだ。

 大体が私は、火葬という風習に以前より懐疑的であった。
 さんざん他の生命を喰らって生き長らえておきながら、自分は死んだら有機性のカケラもない灰になるなどというのは、自然に対する背信だ。食べ物を大切にしようなどという高言をひけらかすぐらいなら、人間だって死んだら何かの糞になってしかるべきなのだ。

 そして私は、チベットに立っていた。
 チベットと言えば鳥葬。この地で、どこの誰とも知れぬ無縁仏として果てれば、死体は当地のラマ僧の手によってトリの腹に収めてもらえるであろうという目算だ。

 生まれてこの方、東海地方を一歩たりとも出たことのなかった私には、何もかもが新鮮だった。これまで生きてきた世界とは、全ての物質・空気が、粒子レベルで違うように思われた。

 それは、眼前で行われている催しに依るところもあるだろう。たまたま、祭りの日に行き当たったものらしい。

 チベットに対するファーストインプレッションが祭りの光景というのは、幸運か否か判断に悩むところではある。祭りが終わって日常に戻ったこの地を私が目にした時、幻滅を覚えてしまわぬとも限らない。

 この華やかで情念溢れるチベットの姿を最後に網膜に映して死にゆくことが、もっとも賢明な判断かも知れない。差し当たって今日のところは、目の前のパレードを心ゆくまで楽しみ、ホテルで久しぶりの安眠を得よう。

 しかし熱い。それは私の恐れる火をイメージさせたが、恐怖感を呼び起こすことはなかった。むしろ、心を弾ませる熱気だ。

 群衆の叫び。民衆の咆哮。全てのソウルが呼応し、一体の龍となって日常を焼き尽し、破壊し尽すかと見える。

 昨日までのことは忘れろ。明日を思いわずらうな。
 人々の昂ぶりが、太鼓の音が、そんな思いを高らかに謳い上げるようである。思いは渦を巻いて熱波となって噴き上がり、全てを溶かそうとする。

 一つなのだ。我々は一つなのだ。剥き身になって一つに溶け合うのだ。

 本性をさらけ出す。謡え!
 獣性を解き放つ。踊れ!
 原性を取り戻す。もつれ合え!

 目の前をパレードが行き過ぎる。まるで自分がパレードの一員となっている感覚に陥るのは、あながち錯覚でもあるまい。今の私は、祭りという生き物を形成する細胞の一つなのだ。

 当地の神の姿を模したものらしい扮装の者たちが、馬に乗り、あるいは人力車に揺られて路を行く。
 その後を、花で覆われた豪奢な車がゆっくりとついて行く。
 そして極めつけ、美しい桜色の衣裳を纏った女たちが、空気を染め上げるような華やかさを振り巻き、手に持ったしゃもじを打ち鳴らす。

 誰からともなく、人々が唱和する。

  ぼんち可愛いや寝んねしな
  品川女郎衆は十匁
  十匁の鉄砲玉
  玉屋が川へスッポンポン

 それは、どっからどう見ても博多どんたくであった。ここはチベットではなく福岡市だった。
 何たることか、積年の引き籠もり生活は、私を破滅的な方向音痴に仕立てあげていたのだ。

 それから、どこをどう走ったのか。道々何かを叫んでいたようにも思うが、何と言っていたのか、自分でも皆目わからない。全ては、祭りの熱風の前にあっけなく掻き消されていった。

 力の限り走り切ると、私は膝をつき、天を仰いだ。

 私の人生は空っぽでした。
 全てを預けられるような友も得ず、全てを捨てていいと思えるような恋もなく、ただひたすら怠惰のみを積み重ねてまいりました。
 揚句、自ら定めた死に場所にすら辿り付けぬ、愚鈍な男に成り果てました。
 神よ! もう私には、貴方にすがるより他、術はありません。
 どうか、私にお示しください。進むべき道を! 導(しるべ)を我に!

 整わぬ呼吸の中、私はほとんど喘ぐように、根限り叫んだ。

 そのとき、天より一条の光が射し、私を優しく抱擁した。
 そして私は確かに、天の声を聞いたのである。

「この辺は魚とかラーメンが美味いから、それ食って帰るがいいよ」
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by keiji65535 | 2007-10-15 08:07 | 自動書記小説
「下善の水は低きより高きへと流れる」
 最近は仕事にも慣れた。麻痺したと言うべきか。
 上役の不条理な叱責も、同僚の仕事量との理不尽なまでの差異も、さほどストレスを感じることなくやり過ごせるようになった。
 ただ、かつて己の内で大切にしていた筈のものがほとんど失われつつあることに対する、言いようのない焦燥だけが、毎夜のようにちりちりと私を炙り、責め立てる。
 私はいったい何の為にこの生活を選んだのだったか。こんな乾いた日々で何を守っているのか。
 それを確かめるには、一度失ってみるのが手っ取り早いのではないか。
 ある朝、私は気がつくと勤務先とは逆方向へ向かう列車に乗っていた。

 その日の夕刻には、私は遙かな断崖より日本海の波濤を眺めていた。激烈な後悔の念を抱いて。
 馬鹿な真似をするのではなかったと、腹の底の底から悔いていた。
 あわよくば、気鬱な日々の中で失くしてしまった本来の自分を取り戻せるのではないかという期待も抱いてこのような蛮勇に討って出たのだが、そんなものは始めから無かったのだと気付かされただけであった。

 傍から見ればこんな私の悲劇など、滑稽事でしかないだろう。
 他人の不幸が滑稽なら、自らの不幸を他人事のように客観視できれば、さぞかし愉快な日々を過ごせるに違いない。
 願わくば、私は自分やそれを取りまく人の世の可笑しさ愚かしさを、高みより俯瞰して暮らしたい。

 そのような存在といえば、神ぐらいのものであろうか。
 ならば、そうだ、私は神になろう。

 窮した心は、極論を導きがちなもの。

 こうして、私は神になったのである。

 今は死ぬほど後悔してます。
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by keiji65535 | 2007-10-03 07:39 | 自動書記小説