ホテルに入るなり連れてる女がメンスを発症、されどその笑みを絶やすことなく女のために夜用スリムを購入すべくコンビニへ走る。そんな現代のメロス、ヨシゾーが、ある公園を散策中、今にも召されそうな弱々しい仔猫を見つけた。
これをこのまま捨て置けるヨシゾーではない。しかし彼のアパートではペットの飼育は禁止されている。かといって今ここでエサを与えたところで、それは一時しのぎであり自己満足でしかないということを彼は知っている。
そうなると残された手立ては、彼自らがこの公園で猫と寝食を共にし、猫が自分の力で生きていく術を身につけるまで面倒を見ることだけである。それしかない。それ以外にあったら教えてほしい。
ヨシゾーと猫の共同生活が始まった。
段ボールを衣とし、また住とし、近隣住民の残飯を食す。たまに段ボールも食らう。眠る時は互いの温もりを与えあう。ヨシゾーの心を、えも言われぬものがひたひたと満たしていく。
かような小さい存在の中に、無限の優しさがある。ヨシゾーは猫を見つめながら、つくづくとその不思議を思う。いつの間にやら、彼の方が猫に教えられ、与えられていた。
憎しみが連鎖・膨張するのと同様、愛もまた、相手次第で合わせ鏡のようなとめどない増幅を繰り返すのだ。
なまじそんな感情を知った後だけに、猫の身体が冷たくなっているのを発見した朝の動揺は極めて激しく、ヨシゾーの心を鋭利な凍気が、じょんがら節に乗せて容赦なくえぐった。
ヨシゾーは神を恨む言葉を持たぬ。運命を呪う術を知らぬ。だから自身を責めた。理もなく因果律もない。ただ自らを貶めることに光明を見出そうとした。
あすこで赤身の全裸を寒風にさらしながら「赦すな俺を。決して決して赦すな」と叫んでいるおじさんには、そんな過去があると思うんです。