視界一面を侵食、蠢く狂人達の群れ。宴。愉悦。
或る者は自らの頭蓋を地面に叩きつけて砕き、また別の者は嗤いながら己の五指を食いちぎっている。肉が爆ぜ、骨が散る。
生ぬるい陽光の降り注ぐ中、路上にて数十人ものニンゲンが半裸ないし全裸で自傷を行なっている。そんな彼らを観察しながら血臭の中に歩を進める俺も、紛れもない狂者の1人である。否、狂気なるものの定義が相対によって決せられるとするなら、むしろこの空間にあっては一人俺のみが異常であるとさえ言えた。
彼らは豚の報いによりこうなった。豚の反逆に遭いこうなった。豚の怒りに触れ、豚の凌辱を受けた。
おそらく、本来の意味においては彼らは既に死んでいる。死んだ彼らを尚動かすものは、純然たる怨念である。
俺は希望に向かって歩いている。そして最後は絶望を抱いて死ぬ。
目の前を日本蕎麦の屋台が通る。屋台を引く親父は俺を認めると足を止め、額に巻いていたタオルを取って顔面を拭った。
「災難やったな、お互い」
焼け縮れた声で俺に話しかけ、並びの悪い歯を露わにした。
初めて会話の通じそうな相手に出会った。とはいえそれは俺と親父の狂気のチャンネルが幾分近いという程のことでしかない。大体この状況で蕎麦屋を営業しようという者と反りが合いそうな気がしないし、何よりこんな汚いおっさんが俺の希望であろう筈がない。
親父は屋台を下ろすとその側面に回り、煮立った湯に蕎麦を一玉放り込んだ。
「急ぐわけやないやろ。一杯食てたらええわ」
俺の意見を訊く気はないらしい。親父はプラスチックの鉢を手に取り、手際よく出汁を注いだ。
実際、急いでも仕方なかったので、俺は勧められるまま丸椅子に腰を下ろした。
「えらい世の中なてもたけどなあ。けど、生きていくだけやったらどうにでもなるわ。ゆっくりいこ、ゆっくり」
言いつつまな板の上に白ネギを乗せ、右手に包丁を握った。
瞬間、屋台に衝撃。轟音と共に屋台が揺れる。鉢が倒れ、出汁をしたたかに浴びた親父が「あづっ!」とのけ反った。
親父の足もとに、近くのビルの上より落下してきたものと思しき、女の上半身が転がっていた。辺りに血が飛び散り、親父の服にも赤い斑点が付着している。
女は半身を失い、体中の骨を砕きながらも身を起こし、親父につかみかかろうとしている。襲うように、すがるように。
親父は舌打ちすると手に持った包丁を振るい、女の頸(くび)を斬りつけた。女は既に脈を失っていたと見え、その傷口からはソースのような黒い液体がどろりと滴っただけで、そのまま力なくくず折れていく。親父は続けて女の側頭部をネギでしばいた。
「こうなったら終いやわなあもう。俺らはまだ全然ラッキーやわ。正気保っとるだけ」
親父は包丁を濡れ布巾で拭うと、ネギをきざみ始めた。
女の頸から地面に黒い染みがゆっくりと広がっていく。やがてこの肉体は腐敗し、他の生命をつなぐ糧となるだろう。同様に、この肉体に宿っていた怨念も、いずれどこかで新たな怨念を生むだろう。全てが滅するまで、その連鎖が途切れることはない。
「えらい待たせたなあ兄ちゃん」
俺の前に鉢と箸が突き出された。親父の真黒な指で握られたそれを受け取り、出汁を一口すする。無闇に美味いのがやや不気味だった。
蕎麦を三口ほど手繰ったところで、味を感じなくなった。舌の痺れはたちまち脳に至り、意識が混濁する。すぐに手が動かなくなり、鉢を手放してしまった。膝にしこたま出汁をかぶったが、まるで熱さを感じない。
丸椅子ごと地面に倒れこみながら何とか親父の方に目をやると、親父はズボンを下ろし、嘘のように巨大な一物を放り出したところだった。それは余りに激しく膨張しすぎて、ところどころより血を噴いていた。
猿が威嚇するような声。それがどうやら親父の笑い声であるらしいことは分かった。親父は服を全て脱ぎすてると、何に使うつもりか、右手に包丁を持ったまま俺に駆け寄り、のしかかってきた。
恥辱と恐怖をくるみ込んだまま、意識が溶けていく。だが最期の最期、全てが闇になる直前のほんの刹那、俺は求めていた希望を見出すことができた。
めっちゃモチ肌! この人めっちゃモチ肌! あと桃尻!