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キャベツおじさん
 僕が職を失ったとき最初に行なったのは、キャベツおじさんに報告に行くことだった。

 キャベツおじさんは近所に住むちょっとした変わり者で、公園のベンチでライターに点けた火をガスが切れるまで眺めていたり、アオコしか生息していないような溜め池に日がな一日釣り糸を垂れていたり、数々の奇行によって界隈ではちょっとした有名人だったけど、ただ、おじさんがキャベツを持っているところは見たことがなかった。



 僕が16のときだ。
「あの人、なんでキャベツおじさん呼ばれてるん?」
 母に訊いても、哀しそうな顔でカブリを振るばかり。
 僕が母の再婚相手と話そうともせず、その癖、近隣でヒンシュクを買いまくっている不振人物にばかり興味を抱いているのが、大層不満な様子だった。
 埒が明かないので、本人を訪ねて訊いてみることにした。といってキャベツおじさんは住所不定なので、探し出すのに半日を要してしまった。
 川原で大量の空き缶を縛ってイカダらしきを作っているおじさんの姿を見つけたときには、日は大きく傾いていた。僕は背後からおじさんに声をかけた。
「なあ、おじさん、なんでキャベツおじさ」
 言い終わらないうちに、おじさんは空き缶の一つを僕に投げつけてきた。
 僕は咄嗟にしゃがんでそれを避けたのだけど、缶が僕の頭上をかすめたとき、中にわずかに残っていたコーヒーが僕の肩に降りかかった。
 後になって解かったことには、おじさんはアルミ缶をちょっと強く縛っただけでヘコんでしまうことに、相当苛立っていたようだ。
 僕はカッときておじさんに殴りかかった。おじさんも応戦してきた。
 しばらくして、川原で息を切らしながら大の字になっている全身アザだらけの二人の姿があった。
 長い間、どちらも無言で星空を眺めていたが、やがておじさんが小さな声で、
「…ペンネーム」
 と呟いた。

 その日以来、僕は3日と空けず、勤め先から帰るとすぐおじさんのところに遊びに行くようになった。
 始めのうちはおじさんを見つけるまでが一苦労だったが、1ヶ月も経つと、どこにいるのか不思議と見当がつくようになっていた。
 遊ぶといっても、僕はおじさんのやることを脇からじっと見つめているだけだ。会話らしい会話はほとんどない。それでも充分楽しかった。おじさんの一挙手一投足を見逃すまいとした。
 母はさすがにいい顔をしなかったが、僕は気にしなかった。キャベツおじさんこそが、人生の達人であると信じて疑わなかった。

 僕が仕事を辞めたその日、おじさんは古本屋の店先にあるワゴンの前で漫画を立ち読みしていた。
 僕が無職になったことを告げても、おじさんは相槌を打つように小さくうなずくだけだった。あるいはそれだって漫画の内容に感銘を受けているだけだったのかも知れない。
 その日は何だか昂ぶっていて、僕はその後も余計なことまでペラペラと喋ってしまった。
 本当に余計なことだ。
 気が付くと、母の再婚相手のことまで話してしまっていた。
 おじさんは突然、手に持っている漫画本を僕に投げつけてきた。
 怒りよりも、羞恥が込み上げた。僕は、顔を真っ赤にしておじさんに掴みかかった。

 僕が14のとき父が死んで、僕には母が、母にとっては僕が、たった一人の家族になった。
 母を支えるのは自分しかいない。そう思うと、悲しんでなどいられなかった。或いは、そう思い込むことで、父を失った辛さを乗り越えようとしていたのかもしれない。
 母に無理やり受けさせられた高校受験は、1科目目を白紙で提出すると、そのまま試験会場を後にして、近くの本屋で午後まで時間を潰した。
 卒業してすぐ就職した先では、みんな本当によくしてくれた。
 特に社長は、田舎から送ってきたと言っては米や野菜をくれたり、残業で遅くなったときなどは車で送ってくれたり、こちらが面映くなるぐらいだった。
 程なくしてその社長が、僕の新しい父親となった。
 裏切られたと感じた。
 母を助けたい一心で頑張ってきた僕の思いが、無下にされたのだと。

 そんな幼い嫉妬心を、おじさんに見透かされたと思った。僕はわあわあ泣きながら、おじさんともつれるようにして道路を転がった。ぶつかったワゴンがひっくり返り、大量の漫画や文庫本が僕らの上に落ちてきた。
「ベルセルクの4巻あらへんー!」
 そんなおじさんの声は、耳に入らなかった。

 実のところ、あの日僕は、おじさんに弟子入りを申し込むつもりでいたのだ。
 おそらくおじさんは相手にするまいが、たとえ無視されても怒鳴られても、断固としておじさんについて行く覚悟を固めていた。しかしとうとうそれを口にする機を逃してしまった。
 もし、あのときおじさんが漫画をぶつけてこなかったらどうなっていたか。そんなことを今でもよく考える。
 あれからおじさんには会っていないが、3ヶ月後に迫った大検の結果は、どういったものであろうと報告に行くつもりでいた。
 そのついでに、最近冷静に考えてみてようやく頭をもたげてきた疑問もおじさんにぶつけるつもりだった。

「ペンネームて、何のよ」

 今度は、おじさんが何も投げるものを持っていないときを選ぶつもりだった。
by keiji65535 | 2005-12-26 01:39 | 自動書記小説
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